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大好きなもの達や過去の記憶の断片達
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記憶なのか創作なのか


一昔前の印刷に使われていた活字がずらりと並んだ棚を紹介している映像を観た時に、ふと思い出したことがある。


子供の頃、どこかで金属でできた数本の活字を手にしたことがある。

鉛でできていると教えられて、手の上で軽く上に放ってその重さを感じたことを覚えている。

なぜ、手渡してくれた人物が活字を持っていたのか不明だが、自分が本が好きだと知ったその人物は、これがたくさん集まって本が作れるんだよと教えてくれた。

だけど、本が出来上がる仕組みなんてわかるわけのない子供に、うれしそうに教えているその人物は一体誰だったんだろう。

誰に聞いてもそんな人物に心当たりは無いと言う。


それじゃあ、あれは一体誰なんだ。


そう考え始めたときに、その記憶自体、本当に自分が体験したことなのかわからなくなった。


手のひらに乗せた数本の活字の重さを覚えている気はする。

しかし、その感覚さえ本当に数本の活字の重さだったのか確かめる方法はない。

思い出したと思った事自体、勘違いだったんじゃないだろうか。


これは、現実の記憶なんだろうか。


それとも脳が作り出したフィクションなのだろうか。

もしかすると、昔見たテレビや映画の映像が混ざってオリジナルの記憶を作り出してるのかもしれない。


もうずいぶんと前から感じている違和感がある。


自分は本当に目覚めていて、普通に日常を送っているんだろうか。

地に足が着いていないような、ふわふわとした状態がずっと続いている。

特に、空には雲が覆いかぶさり、小雨が降り続いて周りの風景の輪郭がはっきりとしない今日のような日には、目に見えるすべてのものが現実感をなくしている気がする。

現実逃避している心が感じさせる非現実感なのか、記憶が混濁しているだけなのか、答えは出ない。

出る訳も無い。


ただ、現実感が感じられず、自分の記憶に自信が持てないときに出てきてしまう鳥肌だけが、現実に起きてることなんだろうか。

できるだけ、現在のことを細かく記憶していたいと思うけれど、時間がたつと、その記憶についても疑い始めるのかもしれない。

単純な物忘れだと考えて、それで納得できれば一番いいんだが。


物忘れ

物忘れ


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