大好きなもの達や過去の記憶の断片達
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 12月31日晴れた空。 青い空に、白い雲が風に追われて流されていく。 いつものカラスたちは、目の前にあるマンションの屋上から姿を消している。 今月の初旬に、母を施設に入所させた。 家の中からトライアングルの一角が消えてしまった。 特別養護老人ホーム11月に体調を崩し、救急車で総合病院へ。 担当医の話を聞き、ここが終焉の場所かもしれないと覚悟を決めたが何とか持ち直した。 こんな状態の人間を良く自宅で世話できたものだと、感心してるような暗に非難してるような言葉が担当医の口から出てきた。 今までに何度もこの病院に救急搬送されてるのに、何も問題ないと追い返してきたのはこの病院だろ! 口から出かかったが、何とか押さえ込んで担当医の話を聞いた。 12月に月が変る頃にはずいぶんと様態が安定したが、困ったのは病院での処置は終わったとの事で退院をうながされた事だ。 退院しても、行く場所がない。 自宅で家族が介護するのは無理だろうと、担当医から言われたし自分達も無理だと感じていた。 でも、だったら何処へ? 病院付きのソーシャルワーカーがやってきて、色々と施設へ連絡を取ってくれたが地元では受け入れ先がない。 申し込んでいた特別養護老人ホームも、母の状態を聞くと受け入れ困難だと返答が返ってきた。 どうする? 数日後、地元から離れた場所だけど、ある施設が受け入れ可能だと連絡をくれた。 家族と話し合った後に了承すると、早速退院と施設への入所が決まった。 素早い。 そんなに追い出したかったのか? とにかく母を、入受け入れ可能だと言ってくれた施設へ入所させた。 住所を聞き、カーナビの指示で施設へ辿り着いた。 かなり離れた場所だ。 でも環境は悪くない。 数日後、書類関係の処理が必要だったので顔を出すと、病院にいた時よりも顔色が良く顔つきも良い。 顔を出したとたん、うれしそうな声で迎えに来たのかと聞いてきた。 今年の初春から施設の入所について話し合い、本人も納得してたはずなのにすべて忘れてしまったらしい。 自宅での介護はもうできないと告げると子供のように駄々をこね始めた。 90過ぎの夫と車椅子の息子じゃ、これ以上自宅での介護はもう無理なんだよ。 ごめんよ。 施設側では最後のみとりまでお世話しますと担当者に言われた。 最後のみとりって言われてもね。 でもよく考えてみたら、施設の場所が離れてるから万が一の時には間に合わないかもしれない。 納得できる話だったが、母と会ったときの印象ではまだまだ先のことだと思う。 ピンピンコロリとりあえず母については施設も決まって一安心だが、これからは残る父親の今後について考えなくちゃいけない。 自分にはあなたの介護は無理だよ、親父さん。 薄情かもしれないけど、できるだけピンピンコロリでよろしくね。 にほんブログ村 PR ● コメントフォーム |
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